片貝町の魅力

片貝町(小千谷市)は、江戸時代に職人町として栄えていました。町のほぼ中心にある浅原神社は町の総鎮守で、毎年9月に開催される浅原神社の秋季例大祭での奉納花火はこの神社の裏にある丘陵地で上がります。片貝の花火は、個人が祈りを込めて奉納する形式が特徴で、「天国のお父さんありがとう」や「後厄御礼」などのメッセージと共に打ち揚げられます。この伝統は、地域住民同士の絆を深め、まつりに合わせて全国から多くの人々が帰省し、町全体が一体となる貴重な時間を創り出しています。
片貝町の花火は、単なる娯楽ではなく、住民一人一人の想いを象徴する特別な行事であり、その歴史と技術は江戸時代からの伝統に基づいています。秋季例大祭では、その夜打ち揚げる花火を集めて「玉送り」「筒引き」という行事が行われてきました。現在では火薬類取締法の関係で、実際の花火を集めて行うことはできませんが、行事としてだけは残っています。江戸時代には火薬の種類も少なかったのですが、明治になって外国から火薬の原料となる新しい薬品が導入されると、さまざまな色や大きな音が出せるようになった一方、発火事故も起こりやすくなります。大きな事故が起きるごとに法令が作られ、個人で花火を作ることはなくなり、設備投資が負担となって全国的に花火製造会社は減少します。現在片貝町では片貝煙火工業一社が製造と打ち揚げを担っています。
片貝で初めて四尺玉の打ち揚げに成功したのは昭和60(1985)年。当時、世界一大きい球状煙火とて注目を集めました。四尺玉は直径120センチメートル、重量は400キログラムを超え、開いた花の直径が800メートルほどに達します。このため、400キロ以上の玉を上空800メートルまで打ち揚げ、そこで炸裂して花が開くようにしなければなりません。花火製造の精度とともに、打ち揚げに使用する火薬の微妙な調整が求められました。普通の花火は玉の内側から作り、最後に球形の玉に仕上げますが、四尺玉は大きすぎる上に長期間に渡る作業で危険が伴うため、先に外側の球を作り、その中に火薬を詰めて作ります。
ちなみに、打ち揚げ花火が球形なのは日本独自のもの。球形をした玉の中に、おもに球形に成型した火薬を詰め、打ち揚げ用の火薬で上空に打ち揚げて炸裂すると球状に開く。球を破る火薬の威力や、中に詰める火薬によってさまざまな花火を作ることができるのです。
片貝の花火は、遠くにいる家族や友人を結びつけ、地域の歴史と文化を象徴する存在です。観光客にとっても、片貝町の花火はただのイベントではなく、その深い歴史と地域住民の強い絆を感じられる特別な体験となっています。