片貝町の歴史
日本で初めて花火見物をしたのは徳川家康だと伝えられています。時は慶長18(1613)年。打ち揚げ花火ではなく、火薬を筒に詰めて火花が飛び出すタイプだったそうです。
日本に火薬が伝わったのは種子島へ鉄砲が伝わった天文12(1543)年で、徳川家康以前に花火見物をした人がいるという諸説はありますが、鉄砲伝来を遡ることはありません。
徳川幕府が安定期に入ると、全国各地で鉄砲に使う火薬作りに携わっていた職人が余り、その技術が活かされ、しだいに花火づくりに移行していったとされています。江戸に移る前の徳川家のお膝元だった三河地方は、現在でも花火づくりが盛んな地として知られています。
日本に火薬が伝わったのは種子島へ鉄砲が伝わった天文12(1543)年で、徳川家康以前に花火見物をした人がいるという諸説はありますが、鉄砲伝来を遡ることはありません。
徳川幕府が安定期に入ると、全国各地で鉄砲に使う火薬作りに携わっていた職人が余り、その技術が活かされ、しだいに花火づくりに移行していったとされています。江戸に移る前の徳川家のお膝元だった三河地方は、現在でも花火づくりが盛んな地として知られています。
一方、その発祥は定かではありませんが、片貝でも18世紀半ばにはすでに打ち揚げ花火が揚がっていたと伝えられています。
当時は花火師という職分はなく、町の花火好きが自ら工夫して作った花火を揚げていました。幕末の慶応3(1867)年には、3日間で70発、最大は尺玉であったと記録が残っています。そして明治24(1891)年の番付には三尺玉を打ち揚げた記録も残っています。これより古い資料がないため、実際に初めて打ち揚げたのが何年なのかはわかりませんが、全国にこれより古い文献も残っていないため、片貝町は三尺玉発祥の地としています。
当時は花火師という職分はなく、町の花火好きが自ら工夫して作った花火を揚げていました。幕末の慶応3(1867)年には、3日間で70発、最大は尺玉であったと記録が残っています。そして明治24(1891)年の番付には三尺玉を打ち揚げた記録も残っています。これより古い資料がないため、実際に初めて打ち揚げたのが何年なのかはわかりませんが、全国にこれより古い文献も残っていないため、片貝町は三尺玉発祥の地としています。
秋季例大祭では、その夜打ち揚げる花火を集めて「玉送り」「筒引き」という行事が行われてきました。現在では火薬類取締法の関係で、実際の花火を集めて行うことはできませんが、行事としてだけは残っています。
江戸時代には火薬の種類も少なかったのですが、明治になって外国から火薬の原料となる新しい薬品が導入されると、さまざまな色や大きな音が出せるようになった一方、発火事故も起こりやすくなります。大きな事故が起きるごとに法令が作られ、個人で花火を作ることはなくなり、設備投資が負担となって全国的に花火製造会社は減少します。
現在片貝町では片貝煙火工業一社が製造と打ち揚げを担っています。
江戸時代には火薬の種類も少なかったのですが、明治になって外国から火薬の原料となる新しい薬品が導入されると、さまざまな色や大きな音が出せるようになった一方、発火事故も起こりやすくなります。大きな事故が起きるごとに法令が作られ、個人で花火を作ることはなくなり、設備投資が負担となって全国的に花火製造会社は減少します。
現在片貝町では片貝煙火工業一社が製造と打ち揚げを担っています。
片貝で初めて四尺玉の打ち揚げに成功したのは昭和60(1985)年。当時、世界一大きい球状煙火とて注目を集めました。
初成功の前年の7月にテスト(このときは玉の中に火薬ではなく砂を詰めた)に成功し、その年の例大祭では残念ながら打ち揚がらず筒の中で開花してしまう筒ばねとなってしまいました。
初成功の前年の7月にテスト(このときは玉の中に火薬ではなく砂を詰めた)に成功し、その年の例大祭では残念ながら打ち揚がらず筒の中で開花してしまう筒ばねとなってしまいました。
四尺玉は直径120センチメートル、重量は400キログラムを超え、開いた花の直径が800メートルほどに達します。このため、400キロ以上の玉を上空800メートルまで打ち揚げ、そこで炸裂して花が開くようにしなければなりません。花火製造の精度とともに、打ち揚げに使用する火薬の微妙な調整が求められました。普通の花火は玉の内側から作り、最後に球形の玉に仕上げますが、四尺玉は大きすぎる上に長期間に渡る作業で危険が伴うため、先に外側の球を作り、その中に火薬を詰めて作ります。
ちなみに、打ち揚げ花火が球形なのは日本独自のもの。球形をした玉の中に、おもに球形に成型した火薬を詰め、打ち揚げ用の火薬で上空に打ち揚げて炸裂すると球状に開く。球を破る火薬の威力や、中に詰める火薬によってさまざまな花火を作ることができるのです。
ちなみに、打ち揚げ花火が球形なのは日本独自のもの。球形をした玉の中に、おもに球形に成型した火薬を詰め、打ち揚げ用の火薬で上空に打ち揚げて炸裂すると球状に開く。球を破る火薬の威力や、中に詰める火薬によってさまざまな花火を作ることができるのです。